おけさ日記

おけさが日々考えたことの記録です

クリエイティブであること

日常生活の中で、普通の中で、いかにクリエイティブであるか。


たとえば、夫婦関係。

一ヶ月気まずい。家に帰ってこない‥と聞くと

それは家族じゃないよね

と言われたり、自分でもそう思ったりする。


なので、必死に、帰ってこさせようとしたり。

でも、それはいわゆる、『一般的』な枠での話じゃないだろうか。

いま、帰ってこないことに凄くイヤな気持ちになるのは、

夫婦関係になってないとか

生活が破綻してるとか、そういうこと。でも、よく考えると‥

夫婦関係を作り直して、これから先の生活のために、いまはお互い模索してる時なんだ。

と、思うと、これって十分、夫婦としての取り組みだし、生活破綻させないための取り組みだ。


だから、こんな状況でも、夫婦だよね。


悩んだり、辛かったり

自分ばかりがつらいなー、と思う時は黄色信号。

特にその当事者の片割れとか、家族のような身近な人は自分と同じだけつらいもんだ。


だれかを傷つけて、許して欲しいと思った時は、つらいからすぐに楽になりたいと思う。

でも、その辛さは、傷つけたその人の辛さ。同じだけかそれ以上、その人も辛かったんだ。

だから、すぐに解決したいけど、ちゃんと辛さを味わう必要がある。じゃないと、傷つけた人に失礼だ。じぶんだけ早く楽になりたいなんて。



コミュニケーションの方法

新卒で入った会社の社長が最終面接でこう言った。

「『それはコミュニケーションの問題だ』、というフレーズを良く聞くけれど、世の中の問題のほとんどはコミュニケーションの問題だよね。それさえ解決できれば、家庭でも、職場でも問題のほとんどは解決できる」

 

何故そのような話になったのか、前後の文脈は忘れた。この部分だけが鮮明に記憶に残っている。幼少期は家庭内のコミュニケーション、学校生活、いつもコミュニケーションに悩んでいた。解決できないものだと半ばあきらめていた問題も、「コミュニケーション能力が高ければ解決できたものなのかもしれない」と希望を持てたからだろう。

 

社会人になり、様々な能力を習得してきた。その中でも「コミュニケーション能力」は常に関心事の上位であった。英語圏のビジネス書にも「ボキャブラリー数が多ければ出世の可能性が高まる」と論じるものも多い。

如何にわかりやすく、端的に、正確に物事を伝えるのか。

不特定多数の多種多様な人たちに、同じ景色を見てもらうためにどう伝えるのか。

部下ができれば、気づかせたり、モチベーションを上げるコミュケーションの試行錯誤もする。・・・いままでずっとそうやって自分の言語力を鍛え上げてきた。

 

そう、「言語力」と書いたが、私のコミュニケーションは「言語」が中心である。

言語力が優れているらしく、「言語コミュニケーション」は私のコアコンピタンスの一つであった。

 

ずっと、それでコミュニケーションをとる事に何の違和感も感じてこなかった。

 

先日、夫婦でミスコミュニケーションがあった。

こんなにわかりやすく伝える事を鍛えてきたのに、言語コミュニケーションに依存している事が問題だと指摘された。

最初は何故そのようなコメントをされるのかわからなかったのだけれど、ふと気づいたのだ。

 

わたしの言語コミュニケーションって、かなり特殊なのかも。

 

これで飯を食っているのだから多分ほかの人より、言語コミュニケーションの部分で優れているんだろう。ということは、「わたしが伝えたい事」は端的に言葉で言い表して、伝えられる。

でも、反対の相手側は私がするように言葉を選び、文書の構成を無意識で頭で構築しながらしゃべる訳じゃない。伝えたい事の10%も言葉にはなってなくて、その表面的な言葉の裏にホンネが隠れている。でも私は自分は伝えたい事を正確に言葉で伝える事が大事だと思っているから、相手も当然それくらい気を使って言葉を選んでいると思って、相手が発した言葉を「そのまま言いたい事」だと思ってしまったのだ。

 

自分が伝えていることと同じレベルのアウトプットをしてくるものだと言う思い込み…

いままでおつきあいした異性に「コミュニケーションがとれない」と言われた事が何度かあるが、その度「こんなにコミュニケーション能力を高めているのに、なんで?もっと精進しなければ」と思っていた。

 

違うんじゃない?問題はそこじゃなくて、「相手が言っている事の文脈を読んで、伝えたいメッセージをちゃんと受け取れること」が大事だった。いままでは「伝える」方に注力しすぎて、相手のメッセージを受け取る事をちゃんと考えてなかった。相手の言った事に反射的に答えると、「言葉で表現されたごく一部」だけで話が進むので、相手は自分の事が伝わってない感を増す。

 

的確な言葉で臨場感あふれる会話のキャッチボールをして楽しい時期もあれば、深刻な話はしっかりしたコミュニケーションが必要な場合もある。深刻な話ほど、表面的な言語表現は伝えたい事を表現してないかもしれない。

 

相手の発した言葉を、前後の文脈やその人のその日のココロの状態やらなんやら、注意深くみて、時間をとって何が言いたい事なのか考えて受け取らなきゃいけない。全然効率的にできないんだ。